義務感

 

最近こんなことをツイッターで目にしました。

 

「語学学校行って、英語力を上げるのはお金の無駄だ」

 

ということで語学学校について書こうかなって思っていたんですが、書いていくに連れて方向がずれたんで他のことについて書きます。

何かと言うと

義務感です。

 

 

なぜこの話題になったかというと、語学留学を選んだ理由の最初がそれだったんです。

 

 

語学留学をやってるんですけど、そのプレッシャーて半端ないんですよ、特に長期の留学とかになると。

 

留学する前に友達と話すと「じゃぁ、帰ってきたらペラペラやなっ」と、決まり文句のように言われますした。

それに自分自身、大金をはたいてきているということで、重圧がすごいです。

だからこそ勉強を大学受験期を超すくらいするし。

 

それって僕にとって1番大事で、本当に何かを頑張る時に自分が感じるのって義務感なんだなって。

 

中学で勉強真面目にしたのも、2人いる姉が2人とも当たり前のように1桁の順位を取ってたのを見てて、それが当たり前であり、この家族であるための義務なんだと、そのときは気づかなかったんですが、あとあとなんであんな勉強したんって考えると、そこには義務感があったんだと思います。

 

僕の夢だってそうです。平和構築って、最初は他の誰かがやればいいと思ってたんです。

 

でも「あひるの空」っていう週刊少年マガジンに掲載されている漫画でこんなシーンを目にして変わりました。

 

 

 

音楽の才能がある1人の高校受験生が大切な試験の朝に、大きめな交差点でボールを追っかけてトラックに轢かれそうになっている子供を見つけるんですね。

周りには彼と同じように信号待ちをしている人が大勢います。

そこで彼はその子を助けて、自分が入院するような怪我をしてしまうんです。

もちろん彼は受験できず、音楽とはなんも関係のない高校に進学することになってしまいました。

お見舞いに来た双子の妹に彼は

「バカ、なんで助けたのよ。ハルちゃんじゃなくてよかったじゃん」

って言われるんです。

すると彼はこう返すんです。

 

「他の人にとっての、その誰かが自分だっただけだよっ」

って

以上。少し違うとこがあるかもしれないですが...

 

 

その時何かが心にぐさっと刺さったんですね。

 

だからそのとき今後どうなるんだろうとぼんやり考えていた平和について、自分がやらなきゃという義務感が芽生えたんです。

 

教師とか公務員って、なりたい人は溢れるほどいて、自分でなきゃいけないという唯一性っていうのがないなって...

個人的にも何かそこで生産できるオリジナルなものもないと感じて。

 

それに対して平和って、少なくとも日本人からするととてもぼんやりしているもので、誰かがやってくれるっていう意識が強いと思うんです。

 

そこにオリジナリティ、唯一性を感じたんですね。

 

それに少し話がずれるけど、

例えば僕が卒業式の時に、最後卒アルに寄せ書きする時に、「世界平和を実現する」っていうことを書いたんですね。するとまぁみんな笑うわけです。

でも、もしここに「いい先生になる」とか書いたら、「頑張れ、期待してるぞ」みたいな感じのことを、軽い感じでもいうと思うんです。でも「世界平和」は違う。

 

説明しているとややこしくなってきていると僕が感じちゃっているんで、一言で言ってみると

 

バカみたい。笑

 

こんな感じなんかなって、そう思う背景はもちろんいろいろあって、まぁ想像して見てください。

 

つまり、この記事をまとめると

義務感っていうのは、強い原動力になる。そしてそれは、唯一性とか、自分がそこにかけたもの、周りの思い、そういったものの集まって生まれる。

 

ということで、もし良かったら自分にとっての義務を考えてみませんか。

 

生産性のある日々を送るためにも...(あひる空の名言で締めます)