「偽装難民」「自称難民」の背景

 

偽装難民」•「自称難民」

これらの言葉が、最近よく日本の難民問題を取り上げるときによく出くる。

 

偽装難民」「自称難民」を簡単に説明すると

 

日本において難民申請するとたとえ、最終的に難民と認定されなくても、難民認定の審査が終わるまでは就労の許可が与えられる。一般的に2年間働くことができる。

 

先進国の日本、日本での給料というものは発展途上国の人々からすると非常に高く、年収の何年かぶんを、たった数ヶ月で稼げるのだ。

 

先月放送していた、池上彰さんの解説番組でもバブル時代、観光ビザを利用して多くのイラン人が日本に押し寄せたと説明されていた。

 

ちなみにイランの場合は3ヶ月働けば、イランの5年から6年に稼ぎになっていたそうだ。

 

話を戻すと、

つまり「偽装難民」、「自称難民」とは、借金を抱えていたり、生活が苦しい途上国の人々が日本に出稼ぎにくるときに、本来難民の定義から完璧に外れている場合でも、それを承知で日本に難民と主張してやってくる人々のことである。。

 

 

そして今、日本の企業にはこれを歓迎している人たちが多くいる。

それが工業系であったり、あまり言葉が必要なく、やり方さえ理解して、仕事をこなせれば働ける、そういった部門である。

 

特に言われているのが、「建設業」。

 

「震災復興」、「オリンピック施設の建設」、「都市部のさらなる都市化」

 

この3つにより、とび職と言われている職人たちが不足していると聞いたことがある。

 

震災復興は仕方ないにしろ、オリンピックと都市化。

 

この2つって本当に必要なんだろうか。

 

まずはオリンピック。

これが決まったのは震災から1年半たった、2013年の秋。

建設業界の人手不足は目に見えていたはず。それにも関わらず、大規模な建設計画。

 

「確かにオリンピックってそういうもんじゃん、豪華にしようよ」

って言えばそうかもしれない。実際自分もそうだった。

 

でもそれはあくまでお金がある人の考え方にすぎない。

 

貧困地域のトタン板で作られた家に住んでいる人、雨漏りも激しい難民キャンプで暮らしている人。

 

彼らの生活環境を改善することが、オリンピックのための新施設の建設と天秤にかけて考えたときに明らかに大事である。

 

まだまだ使える国立競技場を新しくするより大事だし。あとに出した、都市部のさらなる都市化のために、高層ビルを立てることよりもはるかに大切。

 

だってまだ国立使えたじゃん、別に北京五輪より建物古くてダサくてもいいじゃん。

日本の古いとか汚いっていう感覚は、ほかの国からすると違うこともあるし、そこは「おもてなし」で、対抗すればいいし、そっちの方が美しい。

 

都市部への高層ビル建設も人がいないのにやるようなことではないのでは。

 

もちろんそこにはお金が発生して、貧困改善にはお金が発生しない。

それがビジネスっていうのはわかっているし、だからこそwin-winの関係の人道支援、そこに感情論なんてなくていいものを構築したいとも考えている。いまの1番の目標でもある。

 

話がずれていっているようなので戻すと、

 

つまりは、日本の人手不足っていうのは、労働人口の低下もあるかもしれないけど、それ以上に「日本人の欲張り」から生まれていて、

 

それによって、外国人でも日本では簡単に採用してもらえるからって思って、いわゆる「偽装難民」、「自称難民」が多く出てくるんだってこと。